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【おもろいやん!日比谷Bar】第1話 先ずは自己紹介

第1話 先ずは自己紹介

いつもお世話になっております、八木高司です。
いやいやお世話なんてしてないでしょ!?
という方もいらっしゃるでしょうが、
その辺は気にせずに参りましょう!

「おもろいやん!日比谷Bar」です。

実はこのコーナー、
以前日比谷Barのfacebookページで定期的にアップしていたのですが、
今読み返すとイマイチだなぁと気づいてしまいました。

そこでより面白く感じていただけるように再編集しましてお届けしたいと思います。
とはいえ、日比谷Barに入社する前の話が長過ぎて、
そんな話は少しで良いというお声もありましたので、
この第1話は自己紹介もついでにやってしまいましょう。

八木高司、48歳。
昭和46年生まれなので、今年で49歳かぁ、ヤバイですね。
第二次ベビーブーマーと言われる団塊ジュニア世代。
とにかく子供の多い世代なんです。
高校3年生の時に昭和から平成と年号が変わる時代でして、ついでにバブルも弾け飛ぶという状況でした。
兵庫県の高砂市という小さな町の出身でして、
バブル崩壊の波は遅れてやってくるような地域でしたね。
子供の頃から人前に出るのは嫌いじゃなく(好きな方)、
高校生の時には可愛らしくバンド活動なんてやってましたね。
ジャンルはヘヴィメタル。
下手クソながらヴォーカルをやらせて貰ってました。
当時はアホなんで、メジャーデビューするなんて妄想を語ってました。



しかしながら現実は甘くなく、
高校卒業後は勉学を疎かにし過ぎたために就職することになりました。
その就職先にも多少苦労しました。
引き受け手がないことから、
親戚が営む神戸の宝石商に就くことになりました。
18歳のガキンチョが、10万円も100万円もするような宝飾品を売って歩くのです。すごい時代です。

最初にうちは、親戚や友人の年長者たちがご祝儀で買って頂けるのですが、
途中から売れなくなります。
行き当りばったりの営業では売れません。
高級品を十代で息子のような営業マンから買いたいと思う人は少ないです。
3年は働きましたが、売れないが続くと辞めたくなり、
親戚の会社でしたが退職することになりました。



それでも21歳。
まだまだ時間があると考えて、
もっとやりたい仕事を探そう!と。
以前から目指していた音楽関連の仕事を
アルバイトを宝石商の仲間の紹介でやってみます。
楽しみながらやれたのは、ほんの数日。
すぐに音楽関連だが、肉体労働だということに気づいて辞めてしまいます。
この頃は辞め癖が付きそうになっています。
これではダメだと自分を奮い立たせます。

そうだ、こんな田舎にいてはダメだ!東京に行こう!!
今考えると、とても怖い発想ですが、アホなんで仕方ないです。
そのために、なんでも良いからアルバイトして上京するお金を稼ごうと
肉体労働を半年ぐらい頑張りました(なんだやれるんじゃないか)。

東京には大学に進学している従兄弟がおり、
その影響もあって行ってみようとなりました。
なんで東京に来たの?と質問された時の答えは
「ラジオのDJになりたくて来ました!」です。
あー恥ずかしい。よくこんなこと言えたものです。
東京に来たには良いですが、来ても働くところはなし。
収入もありませんから、どこかでアルバイトをするしかありません。
そんな状況でフロムエーを買って、
探して面接に行った業種が飲食業で、
業態は洋風居酒屋でした。
ここに面接に行かなければ、
この「おもろいやん!日比谷Bar」を書くことはなかったでしょうね。

今日はここまで。


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