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【おもろいやん!日比谷Bar】第7話 Bar a base

どうもお世話になっております、八木高司です。

ついにバーの店長です。
これは盛り上がって行くよー!のつもりが…

1996年の日比谷Barは熱かった。
前にも言ったが、95年も目黒と有楽町に1軒づつ出店している。
96年は有楽町に1軒、新宿に2軒。
さらに念願の銀座に1軒出店したのだ(バリバリの出店ラッシュ)。
他社の私としては、羨ましいなぁと思っていた。

話を少し戻して。

ウチも日比谷Barに負けられません、
「一風」に続いてまた1軒出店する準備をしていた。
三軒茶屋

(一風の場所は、いま玄品ふぐさんになっているのね)



マスターから「次はBARを出すよ!」と言われた時は、
メチャクチャ盛り上がった。

何よりも店長としてやることになったのだ。
やっとBARを出店できると思うと、
ワクワクせずにはいられない。

出店立地は渋谷で、東急本店の奥、
松濤に向かう交差点付近にあった。
渋谷

(このファミマさんの下にあったのよね)



とはいえ、出店準備なんてやったことが無い。
「一風」の出店準備は他の社員とマスターがやっていた。
今回は自分でやらないといけないので、
日比谷Barスタッフにも助けてもらった。

アルバイトスタッフの面接から、備品の発注。

女子1名、男子3名を採用して、
ちょっとしたサービストレーニングもやった。

15坪ほどの小さなお店で、
フードメニューはマスターに考えて貰った。

調理の難しいメニューもあったが、
全て教えてもらい準備も万端に整えた。

無事オープン!したが、、、お客様が来ない。

ヤバイ、ヤバい、やばい。

こうなった時にやれることと言えば、ビラ配りだ。
アルバイトスタッフも巻き込んで、とにかく配りまくった。

三軒茶屋の「一風」や茅場町の「ボーヴォワール」からも
スタッフを派遣してもらって配った。

お客様が少ないので、
隣のお店の方にもお客さんとして来てもらい、
その隣の店からのご紹介で来店される方もいた。

それでも、お店は軌道に乗らない。

もちろん、営業時間は17時から4時までと長くして
少しでも集客できるようにしていた。

そんなある夜。
「おーい、うちのスタッフ連れてきたぞ~」

日比谷Barのお友達である中元くんが、
同僚達を連れてきてくれた。

近所の日比谷Bar渋谷店は2時まで営業だったので、
仕事を終わらせて直ぐに駆けつけてくれたのだ。

助かるわ~と思ったところに、
連れてきた関西人の男がマティーニを注文した。

そして一口飲んで言ったコメントが
「このマティーニ旨ないわ」

カッチーン!

まぁ確かに、マティーニは得意なカクテルではなかった。
見透かされているんだが、初対面でそんなこと言わなくて良いだろうと。

さらにズケズケと大阪弁で突っ込んでくるから、
うるさくて面倒くさい奴やなぁと感じていた。

しかしこの男、それ以降も中元くんと一緒ではなく、
違うスタッフを連れて来てくれるようになる。

さらに旨いマティーニの作り方を教えてくれるのだ。

めんどくさい関西人と思ったが、
何気に私のことを気に入っているようにも感じた。

その男は吉岡くんと言うのだが、
現在六本木でカッコいいBAR <K-JULEP> を経営している。

ちなみに、今は仲良かったりする...

しかし、この「Bar a base」。
どうにもこうにもお客様が来ない。

今ならどうにかするが、
そもそも顧客もいなくて渋谷に出店したことが間違えだった。

当時は、分かっていないから、手の施しようがない。

取り敢えずアルバイトスタッフの2名には辞めてもらい、
残り2名の出番も減っていった。

そんなある日の深夜に事件が起った。

営業中、私とマスターが喧嘩をしてしまった。
(と言っても、殴り合いじゃないですよ…)

その日は営業後に、
日比谷Barスタッフとのバーベキュー大会に参加する予定だった。

多摩川の河川敷でのバーベキューも、
落ち込んだまま参加した私は、とても楽しめる気分ではなかった。

そこからまた違った展開に繋がっていくのでした。

今日はここまで。







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